雨楽な家BLOGBLOG
下駄の話あれこれ
大阪府豊中市、能勢街道沿いの「服部天神宮」を参拝しました。菅原道真が京都から九州の大宰府へ向かう途中、脚気で歩けなくなり、村人の勧めるまま、少彦名命(すくなひこなのみこと=医薬の祖神)をまつる祠に祈願したところ、足の痛みは治まり、大宰府へ無事たどり着いたそうです。
以来千年、祠は「服部天神宮」となり「足の神様」と呼ばれ、足の病に悩む人々やスポーツに励む人々が各地から参拝されるとか。境内には、大きな下駄、わらじ、願いごとを記した下駄の形の絵馬などが多数奉納されています。
「生きている限り自分の足で歩けますように」と、私も大きな下駄にお願いしました。というわけで、今回のテーマは「下駄の話あれこれ」。
「雪の朝 二の字二の字の下駄のあと」
この素敵な俳句の作者は、田すて女という江戸時代の女流俳人。朝起きて家の外に出てみると、一面銀世界。下駄の足跡が二の字二の字と続いていて、うれしくなったのでしょうか。
雪の画像は下駄の二の字でなくて、ごめんなさい。雪の朝、ワンちゃんが飼い主にぴったり寄り添って散歩する様子が目に浮かびます。ワンちゃんの本音は、もっと自由に庭かけまわりたいのでは。
こちらは「雪下駄」です。雪に埋もれないように高さがあり、滑らないように細工され、防水や防寒のための爪革(爪先にかぶせるおおい)などが付いています。
平成生まれの方は、「下駄は夏のゆかた用の履き物」と思っていませんか。いえいえ、そうではありません。下駄は夏に限らず一年中履くものです。
昭和生まれの方は、祖母や母の日常を思い出し、「昭和の中頃までは『割烹着に下駄か草履履き』が主婦の普段着」だったことを覚えているでしょう。下駄の最盛期は昭和30年代だったとか。高度経済成長がスタートした頃ですね。
こちらは二本の歯がある一般的な下駄です。下駄は湿気の多い日本に適した通気性の良い、締め付けない履き物。草履で歩いても音は出ませんが、下駄で歩くと「カランコロン」と良い音がするのは木製ならではですね。
下駄の材料は、桐、杉、松など。桐は軽いのに割れにくく、足への当たりが柔らかいのが人気で、高級品としてよそ行きの下駄に。杉も下駄の材料としてよく使われ、特に大分県の日田杉を活かした杉下駄が有名です。松は普段履きに使われていたようです。
下駄は仕上げもさまざま。白木の下駄、塗りの下駄、焼きの下駄など、それぞれ表情が異なります。
白木は木そのものの素材感を大切にした仕上げで、素足の気持ち良さを実感できます。
「雨楽な家」の無垢の木の床板に通じるものがありますね。
「下駄をあずける」「下駄をはかせる」「下駄をはくまでわからない」など、下駄にまつわる慣用句がいろいろあります。下駄が出てくるからには、江戸時代からこんな言葉が使われたのでしょうか。
「下駄をあずける」とは、決定権を譲り全面的に相手に任せること。「下駄をはかせる」とは、点数や数量を水増しして実際より多く見せること。「下駄をはくまでわからない」とは、すべてが終わるまで結果はわからない。下駄って不思議なものですね。
こちらの画像は、「雨楽な家」の通り土間に下駄がよく似合います。火鉢もあって、なつかしい昭和な時代を思い出しますね。今は令和。お祖母ちゃんが、帰省した孫に言いました。「下駄箱の上に郵便があるから持ってきて」「おばあちゃん、ゲタバコって、なに?」
下駄はほとんど入ってないのに「下駄箱」とは? 年代によって生活用品の呼称は変化しますね。平成生まれの方は「靴箱」「シューズボックス」でしょうか。たとえ呼び名は変わっても、日本の伝統文化は次の世代につないでいきたいものですね。