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2024.07.03

忘れてはならない豪雨災害

夏は年間を通して気象災害が起こりやすい季節です。
気温や湿度が高いので、ゲリラ豪雨や竜巻のもとになる積乱雲が発達しやすいことや
台風のシーズンと重なることが原因に挙げられます。

 

忘れてはならない私の身近で起きた災害は、2018年7月に起きた西日本豪雨災害です。
梅雨前線が西日本付近に停滞し、そこに台風8号などから大量の湿った空気が流れ込んだため、大雨が連日続きました。
この記録的な大雨が広範囲で同時多発的に土砂災害や河川の氾濫を引き起こし、死者数が300人(災害関連死含む)を超える大惨事となりました。

 

豪雨災害

 

あの日私は車で息子の習い事に行っていました。
帰りに峠を越えるのですが、道路には山から木々を含む泥水が流れ込んでいたので
“これは只事ではない”と感じ、緊張した面持ちでハンドルを握りしめて家路を急ぎました。
雨は一向に止む気配がなく、私達が通ったその道は30分後には倒木によって通行止めに。

 

テレビではひっきりなしに被害の情報が放送されていて、土砂で家屋が倒壊していたり
道が陥没していたり、いつもは穏やかな大きな川が氾濫寸前まで水位が上がっていたり…

 

夜には、わが家の裏山からも見たことのない勢いで泥水が溢れ出ていました。
すぐに荷造りをして避難所となっていた小学校へ向かいましたが、既にたくさんの方が
校舎に避難されていて、急遽体育館のステージ部分も避難場所になるという状況でした。

 

体育館の屋根に当たる大雨の音が響き渡る中、とても不安な一夜を過ごしましたが
朝には雨も小康状態となっていたので帰宅することにしました。
私が住む町は被害が少なかったのですが、隣町は土砂崩れや
河川の氾濫によって土砂で埋まり、見慣れた風景は変わり果てた姿に…。
居ても立ってもいられず土砂撤去のボランティアに参加したのですが
テレビで見ていた惨事を目の当たりにして愕然としました。

 

尋常ではない暑さと土砂の臭いの中での作業は想像を絶するしんどさで
正直“もう帰りたい…”と何度も思いましたが
“帰る家がある私達がそんな事を言ってはいられない”と、必死でした。
一軒のお宅の土砂を撤去し終えた時、とても住める状態ではないにも関わらず
住人の方が「ありがとう、ありがとう」と泣きながら私たち一人一人の手を握りました。

 

被害が無かった町では、いつもと変わらない日常の時間が流れている…
吸う空気が違って感じ、何とも言えない複雑な気持ちになったことを今でもよく覚えています。

 

友人の息子さんは、土砂で同級生(高校生)を亡くしました。
家を失ったり、家族を失ったり、本当に辛い思いをしている人たちが身近にたくさん居て
“怖かったな、大変だったな、で終わってはいけない。人の命も生活も守りたい”
という思いが湧き上がり、建築士になると決意。
彼は今春大学を卒業し、建設会社に就職しましたが
あの時の気持ちは今でも変わらないそうです。

 

甥っ子は当時高校球児で、夏の全国高校野球選手権大会の予選を控えていました。
決して強いチームではないけれど、仲間たちと共に一生懸命に野球と向き合っていて
“強豪チームで野球をすることがいいとは限らないな。この子達、なんかいいな”と思わせてくれるチームでした。
そんな彼らの学校周辺やグラウンドには大量の土砂が流れ込み、チームメイトの家は倒壊しました。
野球部員全員が復旧作業に明け暮れて、練習が再開できたのは予選一回戦の2日前。
残念ながら一回戦で敗退しましたが、彼らは野球ができる幸せを噛み締めながら試合に臨んだに違いありません。

 

被災者の方々は、何年経っても心の傷が癒えることはないと思います。
そして災害はまたいつ襲ってくるかわかりません。
明日はわが身です。
災害から命を守る備えの大切さ、命を守る行動の大切さを頭に入れて、非常時でも
落ち着いた行動が取れるように、正しい心構えを身につけておくことがとても大切です。
夏がやってきた今、ご家族の皆さんで再び“防災”についてしっかり話し合ってみてください。

 

豪雨災害

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